バンドマンに村を焼かれている。

日常の潤いに少しでも乾きを!

2018年8月25日。

 

 

8月後半は子どもの自殺率が最も増えるそうです。そういえば私が高校時代3号館二階の女子トイレで首を吊ったのも高3の8月終わりだったなあと思いました。この話、中途半端に繰り返しすぎたせいで面白みがなくなってきたのでもういい加減やめよう。今回限りでやめる。

 


自殺しようと思った原因は色々あった気がするけど、きっかけは夏休みの課題に全く手をつけていなかったことでした。今思えばその程度のことなんだけど、これやらなかったら高校から大学への推薦がもらえなくて私の最終学歴が大きく変わってたんだよね。ならやれよ。

 


夏休み終わり際に、進捗状況報告するために、まっさらな天声人語書き写しノートを2冊と、革のベルトと遺書をリュックに入れて、その日は暑すぎたので車で学校に送ってもらって、すぐ終わるから!って母親に近くで待機してもらってから、やってない課題をヘラヘラ見せて、焦る担任に対して「え~?どうしよっかなぁ~??」って言ったところまでは覚えてます。

 


場所としてトイレを選んだのは確か夏休みはほとんど人が通らない場所だったから。結果的にデブが幸いして(?)ベルトを引っ掛けていた扉のフックが取れて未遂に終わったんですけど、首吊り前と後で、私の中の価値観がくるりと裏返ったような気がしました。

 


まず、死ぬことはとても身近。長寿大国日本でも自主的に死のうと思えば簡単に死ねる。首にベルトつけて一気に体重を落とした時、暗くなる直前に「うわあすげえ簡単な方法だ!」って思った。あんなに苦しんだ自分の人生あっさり終えられるんだって驚きました。死は全然タブーじゃなかったんです。考えちゃいけないことだと抑え込んでたのをやめたので、今はあの頃よりだいぶ生きやすい。つらかったらいつでも死ねる。

 


あと、つらい気持ちを救ってくれる人は本当にいないので自分でどうにかするしかない。首吊り沙汰の時、校庭で待機してた母親の他に、高1の1学期の頃の担任と、3年の頃の担任が探してくれてたそうで、私が見つかった後に「悩みがあるなら話してほしい」って言っていたそうな。・・・いや、言いましたけど?この世の中、ポツンポツン出してた小声のSOSは見向きもしなかったくせに、最悪な方法(大多数の人が良くないと考えてるようなことです、この場合は死ぬこと)に手を出した途端、どうにかしようと焦るやつが多すぎ。私のことを救いたいんじゃなくて、苦しんでる人を救ってる自分が好きなのがよく透けて見える。世の中割と優しくないんだよ。期待しすぎないほうがいい。

 


それから、終わりよければ云々じゃないけれど、私の中で死ぬことは人生の総評価みたいなもんなので、高3じゃまだ早すぎたなと思いました。納得できないから生きてる。まあでも納得するために死ぬ人もいるんだろう。それはその人の価値観次第。

 


「最良の死を望むのなら生きることを尊ばないといけないのよ。」って、たまたまつけたアニメで言ってた台詞なんだけど、ああなるほどなあって結構気に入ってます。私は良い死を迎えるという目的のために生きている。

 


これは別に、生きようか死のうか迷ってるキッズたちを救いたい記事じゃないです。それこそ好きにしなさいよ。私はこれから24時間テレビを無視して録画した猫の恩返しを3ループする予定なんです。

 


死ぬことを目標に生きるのも悪くないよ。